佐々木美術店





〈 注) このBlog著者は佐々木美術店use店主・佐々木秀典です〉








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2010年11月23日火曜日

検索ワード・「本物」「作品」「つくる」「裏」「無意識」「無作為」


現実を見ないで超現実で生きてきた僕は
ここ何年間で現実とぶつかり
厳しさをイヤでも知る
自然にお酒の飲む量も減る
酔ってる場合でない とそんなモードである
そこで 一貫性だか ファ~っと 見入って豊かな気持ちにさせてくれるのがこのようなモノ
超現実で生きてこさせてもらえる環境であったから
このようなモノで
救われる
このようなモノに
惹かれる
ん? 関係ないか?
このようなモノは 大抵昔の学校の見本であったり
学生の練習のモノである
僕にはつくったと云うより
練習したモノなのだが 作品とした感覚で見れる
例えばプロと学芸会って感じだろうか
何故だろう?
僕に作品を見たりする力(知識など)がないから
つくった作品の気持ちだったり そのような背景を知らないから
本物の作品をわからないのかもしれない
本物?本物の作品?

だから 学生の練習モノだったり  
ミニチュアのおままごとモノだったりに惹かれる?
イヤ 大人の精神が詰まった本物の作品から逃げてるのかもしれない
プロが本物かはさておき
しっかりとした作品
哲学ある作品をまだ 理解出来てない状況
感じる事は誰でも出来る
理解するには知識が必要
感じて 理解して はじめて
この作品は良い
この作品は嫌い と 自分の判断が出来るのだろう
なんとなく好き嫌いの判断でなくね

感覚的だけでなく技術や知識があってやるのと
感覚的だけでやるのでは全く違う
それは美容業界で知った経験である
しっかりとしたカットでなく
自分で切っちゃったような
寝癖のような
少し絡まってしまった束があるようなヘアースタイルが好きであり
基礎的な練習はあまりしなかった
あえて寝癖のように自然になるような練習をしていた
技術も哲学も共に
そこでマン・レイなど教わった
美容室の練習会でマン・レイを教える美容室などそこしかなかった
自分の働く美容室の毎週木曜日の練習会には参加せず
その美容室の木曜日の練習会に参加していた
でも教えてくれてた方は前にロンドンで数㎜の違いも許されない
ビダルサスーンのトップだった実績がある
あるときロンドンで奥さんがビダルサスーンのショーを見て言ったらしい
「みんな同じようでつまらない ピチーッと揃ったカットはきれいだけど
それは自分には不自然に見える・・・」と


僕もそうだがそのような美容師は他の業種に行ってしまう
美容師は基礎もしっかりとしてないとお客さんに対応出来ないからだ
今は自分が出来るお客さんからやればいい
なんて事も考えられるようにはなったが
なのに(逆にだから) 裏?と云うか
ダダイストやシュルレアリストの無意識的作品や
アール・ブリュットの無作為の作品から入ってしまう
後は不完全的なモノなどもね

実際 自動記述のナジャなど読んでも
理解など出来ないし だって人の無意識を理解など出来ない
だか発表し今でも残っている
無意味の意味を解く事も またそれに近い気がする
だから 前にも言ったが
子供の積み木の箱の落書きや
ただの線など見逃せない
いつものように 終わらないので終わりにします



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